へいにーのフリーゲーム記

フリーゲームのレビューを中心に書きます。

雑記 去る平成来たる新元号

どもどもへいにーです。

 

今週は塾で忙しくゲームレビューは厳しいので、雑記を書かせていただこうと思います。

 

今回書かせていただくテーマは明日発表される

元号

についてでございます。少し僕なりの視点で書いていきたいです。

*あくまで僕個人の意見であり、僕以外の意見を弾劾するような意思はありませんことをご了承下さい

 

 

平成最後とは。

冷静に考えると、他の時代を知らないから平成がどうだったとか述べられる訳がないですので、今年散々言われた平成最後という表現について僕の考えを。

平成最後のどうたらこうたらって散々今年は言われてきましたが、僕はこの表現なんかいやなんですよね。結局理由付けでしかないわけじゃないですか。平成最後だからどうしたんですかと。社会人になると、今日と明日は何も変わらないだとか、今年と来年は何も変わらないとか聞きます。だから、今年は平成最後だから去年とは違うという区別が必要になるんでしょうか。まだ高校生のガキンチョから言わせてもらうと、やっぱりその一年に起きたことで、区別したいものです。平成最後だろうがなんだろうが僕にとって2018年や2019年は、高校二年生としてそして楽しかった自分のクラスとして文化祭で頑張ったり、修学旅行に行ったりした年として、覚えておきたいものです。2019と聞いて「あー、平成最後のね」と答えたくはないと、思います。

それに、どうせ来年は◯◯元年だからというのですよね。結局平成最後というのは平成を悲しんでいるのではなくて、そういう理由をつけたいだけですよね。それは、平成に失礼だと僕は思うんです。平成よ今までありがとうと胸を張って言えるのでしょうか。

結局僕が何を言いたいかというと、2018、2019は平成最後としてではなくそれぞれの出来事で記憶するべきだと思うし、平成最後だから何かしろというよりかは、平成のことをゆっくり思うのが筋ではないかということです。皆様はどうお考えでしょうか。

 

元号

さて、表現についての話はここまでにして、改めて元号について少し。といってもそんな専門的知識はありませんのでご承知を。あくまで僕が思うことです。今は明日発表を迎えている日で、なんとなくそわそわした空気があります。管官房長官もずいぶん迷っているらしいです。やっぱり、日本人は海外に比べて名前にたいする思いが強いイメージはありますね。いいと思います。…がネーミングセンスがない僕には少し厳しい世の中です。

当たり前といえば当たり前ですがやはり年号には演技の良い言葉がつけられるそうです。ちなみに平成には「国の内外、天地とも平和が達成される」という意味があるそう。災害は多かったですが、日本はあまり戦争に関わらなくてすんだのかなと思います。第二次世界大戦のあった昭和の次の年号としては最適だったと思います。

そして、次の年号ですが、個人的には「進む」的な年号が欲しいです。社会的に、何に関しても現状維持ではまずい、進歩しなければという感じが出回ってきたと思うんです。僕もこのままの現状維持では環境やそれこそ平和など、失ってはいけない物を失う世の中になりかねない。ですから、みんなで進もうという気風が欲しい。そこで、元号にそんな風を吹かせて欲しいなって思います。残念ながら昔の演技の良い言葉とかの知識は大変乏しいので、予想なんて無理ですから、自分の希望を語らせてもらいました。

 

このあたりにしておきましょう。文章ばかりで読みずらくて申し訳ないです。冒頭にも書きましたがあくまで僕個人の意見ですので、他の意見を弾劾する意思はないことをご了承してください。

次回はしっかりゲームレビューしたいなと思っております。是非。

 

よんでくださりありがとうございました!ではまた次回!